1999年 日本のインターネット人口は1,500万人を超えて留まるところを知らず伸び続けて行きました。
前の年には1台でWWW,MAIL,DNSが搭載された姿かたちも可愛らしい「コバルトキューブ」という手のひらに乗るほどのサイズのサーバーが発売され、手に入れてオンラインさせました。
それまではすべてLinuxからインストールして構築していたサーバーがGUI1つで設定できるようになりました。
そのころ、すでに96年頃から同じ町の出身者同士を募ったメーリングリストを通じてインターネットの教育への活用や地域振興への利用について毎夜熱く語り合っていました。
同郷の有志とはいえ、東京-神戸-広島-島根とエリアを広くまたいででつながりあえたのもインターネットあればこそのことでした。
今ではこれも当たり前、Facebookに、LINEに、インスタグラムと人と人とが繋がる仕組みは枚挙にいとまなしの状態です。
その頃もメーリングリスト1つでいつでも交流し、時々のオフ会を楽しみにしていたことが懐かしく思い出されます。
そして、1999年元旦の新聞には、集大成としてメンバーがこれからのインターネットについて語ったメッセージを載せたフリーペーパーを折り込みました。
メールの仕組みは今も20年前も変わらず人と人との繋がりを支えているとも言えます。
TFCメディアラボが提供する
メール配信サービスも学校と保護者をしっかり繋いで子供たちの安全、安心を見守っています。